2012/11/28

想い色



大人になる季節が来たのかしら。
と、なんとなく思ってみる。

「結局○○、」なんていう口癖がついているようで怯える。
おおきく息を吸う、息を吐く。

もう白い。
うれしくって、尖った夜空に、何度も息を吐く。


あっという間に美術会が終わって、
休む暇もなくライブ、ライブ、練習、ライブ、の毎日です。
それでも何が違うのか、
まったく忙しいとは思わない。
体が思いどおりにならないときは、なんだかなあ、と思うこともあるけれど。

美術会のことは、まとめて何かのかたちで遺したい反面、
未熟な自分の実力や現実を突きつけられたような気がして、
ぐっと、おなかの底で、真摯に受け止めています。

たくさんのひとの力を貸してもらって、
たくさんのひとに足を運んでいただいて、
これ以上の、幸福は、ありませんでした。
その点は本当にこころから感謝をしています。

今回きっぱりわかったこと、決心したことがあって、
それは胸のうちに秘めて現実にすることで清算をします。

口に出すと、消えてしまうような気がします。

知っているのは先生だけで良い。


最近の興味は「しあわせ」と「結婚」です。
このふたつは別々の案件ですが、
「結婚」については答えがすこし見えてきた。
今の時点では、必要かそうでないかでの選択だけで良いのでしょう。

明日のことなんてわからないのに。
(わからないから約束するの?)
書類がなんの役に立つのだろう。
ただの紙切れで将来を契り合うなんて愚かに思う。

そんなのものに依るから、目に見えないものを失ってしまうんだ。
まいにち手を取り合ってこころを通わせれば済むお話しです。
(強い覚悟とバランス感覚と根気が必要)

まあ、自分と相手の人生を擦り合わせて生きていく感覚は嫌いではないけれど。
それと結婚することとはたぶん違う。
でも人それぞれだから、なんでもいいんだけどね。


「しあわせ」に興味があるのは継続的なことで、
言葉の意味を考えたりするというよりはそのように感じることに対しての考察です。
「しあわせだなあ」と、よく思うほうだと思うのですが、
思うだけじゃあ駄目なのだなあと思って。

背徳感をなくしたり、よろこびを隠そうと努力するのではなくて、
どうにかして他人に還元することが大切なのかしらんと思っています。
自分の存在だけでしあわせと感じることなんて稀なのだから。
(逆に自分が存在しないとどんなものもしあわせには成り得ないのだけれど)
それはまた違う論点。

結局自分のためだけに動くよりも、
大切なひとたちのために動いたほうが良い結果になることが多いのでしょう。
(ほらまた結局と言う)
自我を捨てることと似て非なる、
それをニュートラルに受け止めることが鍵です。

無感情は敵ではない。
そんなこと自然に思って受け入れるなんて、昔のわたしでは考えられない。

やはりいろんなことが毎日変わっていく。
自分がいちばん、変わっていくいきものです。
毎分、毎秒。
そのための時計かしら。


ト、きょうはここまで。
またこそこそと書きます。






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